てのじ手塚 経歴

こちらのページはてのじ手塚の経歴を、当時の思い出や出来事と併せて振り返ったものです。
勝手我がままに過ごして来たせいで、少々ユニークな経歴になってしまいました。
お付合いいただく中で、手塚に対し「?」が付いた際の取扱い説明書として、ご笑読いただければ幸いです。

1965 - 誕生
1984 - 調理時代
1992 - システム開発時代
1996 - 板金時代
2006 - 営業・スケジュラー時代
2012 - てのじ開業

* 冗長な文が続きます。あまり興味の無い方は、太字部分のみご参照ください。
* 記述の多くの部分は私の記憶に寄る物で、特に考証も行なっておりません。誤りや、説明不足などありましたら、ご指摘ください。

1965誕生 1965年(昭和40年)
東京都足立区に生まれました。

家は風呂無し、庭には井戸。小学校低学年時の校舎は木造、暖房はコークス仕様のだるまストーブ。
東京とは言うものの、今からは想像もつかないような田舎でした。
そんな東京の田舎者が、可もなく不可もなく育ち、高校を卒業して働き始めます。

<1965年の出来事>
・オロナミンC発売開始・マルコムX暗殺・YS-11就航・アイスノン発売・ジャングル大帝放送開始・大怪獣ガメラ封切

1984調理時代 1984年(昭和59年)- 1992年(平成4年)
唐突に洋食調理の仕事に就きます。
千代田区にある老舗洋食店に雇っていただき、名古屋出身のチーフと大阪出身のサブチーフに、調理と業界作法をみっちり仕込まれます。その後、新規カフェ開店、ビアレストラン、ドイツ料理専門店、メキシコ料理専門店などで調理スタッフとして、また時にはホールの手伝いもしながら経験を積みました。
調理場のつながりやスタッフの縁をたどり、色々な職場で沢山の人や仕事と出会いました。

このころ世の中は大変景気が良く、今で言うところのグローバル化が進んだ(始まった)時代でした。
それに合わせるように、お客様に提供するメニューも豊富になりました。そしてそれ以上に、食材や調理法、スタッフの意識が大きく変わって行きました。

<1984年の出来事>
・初代Macintosh発売・江崎グリコ社長誘拐・東京芝浦電気→東芝社名変更・プランタン銀座開店・コアラ初上陸・ロスアンゼルス五輪・シンボリルドルフ三冠

○調理時代中の寄り道
調理の仕事をする中で大変だったのは、調理場の清掃でした。
調理と清掃は一連のものですが、業務を切り替えて行なうには大きな労力が必要でした。ふとした時に、「調理場に特化した清掃業務は商売になるのではないか?」と思い付きます。友人を誘い、何かの広告を基に見よう見真似で資料作りをし、方法もわからず飛び込み営業をします。また、「調理場なら家にもあるじゃないか!」という事で、個人宅のキッチン等も営業範囲に取込みました。
友人の猛烈な頑張りのお陰で、何件かお仕事を頂くことができました。しかし、事業を軌道に乗せるには程遠く、友人と共に調理の道に戻りました。

今では調理場清掃や家庭の清掃も、業者が当たり前に行なっていますが、当時はまだ聞く事も無いサービスでした。
そんな寄り道をしながらも調理を続けていましたが、突然気変わりを起こします。

1992システム開発時代 1992年(平成4年)- 1996年(平成8年)
コンピューター?システム? 知識と言えば、子供時分に『子供の科学』で何となく読んだ程度。
しかしそんな私でも、秋葉原にある小さなソフトウェアハウスに、開発要員として入社を許可されます。

スタッフは、経営・営業が外資メーカー出身、開発は国内メーカー出身という、日本人による国際連合です。
そこでは主に、POSシステムや小売店の本部店舗システムなど、流通関連の開発を行なっておりました。

何も解らない私に、先輩方は丁寧に根気良く指導してくださました。時には、「こいつ記憶保持機能が付いてないぞ!」なんて褒め言葉をいただく事もありましたが、ひと通り仕事をこなせるようになりました。
システム開発の仕事は、調理と同じく正に物作りであり、純粋に楽しい物でした。ただ、行なった作業は全てデータとして残り、客先でシステムが稼動し続ける所などは、調理とは違った怖さを感じる事もありました。

そして業界は大きな転換期を迎えていました。ハードの主役が汎用機からパソコンに、パソコンもPC-98からPC/AT互換機へ、パソコンのOSはDOSからWindowsに変わりました。
私たちもその流れに沿うように、業務用にはまだ非力と言われていたパソコンを使った、小規模スーパー向け本部店舗システムを開発しました。それまでの経験で培われた豊富な機能が装備され、パソコンをベースにした事で導入コスト削減を達成できる画期的なシステムです。

しかし、自社パッケージシステムを手に会社として大きく飛躍しようとした矢先、営業担当者が体を壊してしまいます。その方は営業を一手に担っているだけでなく、システムにも深く関わっていただけに、小さな会社にとってはダイナモを失ったも同然でした。
更に追い討ちをかけるように世の中の景気も下降しており、残念ながら会社は清算することになってしまいます。
この会社で経験できた、技術や意見を共有し常に進化を目指す姿勢は、新鮮で素晴らしい物でした。

<1992年の出来事>
・のぞみ運行開始・ハウステンボス開業・ 国家公務員週休2日制開始・バルセロナ五輪開催・ 日本電気CI導入NECマーク赤→青

○マルチメディア
当時、マルチメディアという言葉がもてはやされていました。会社もブームに乗る(作る?)必要がありました。
私たちは靴に目を付けました。靴屋でお客様が履きたい商品の写真を選びカメラに向かうと、お客様の足元と靴画像を合成してモニターに映し出すシステムです。お客様は靴を履き替える手間が省けます。店舗は在庫が無くても販売機会を逃さずにすみます。
開発はひと通り終えましたが、実用的なレベルに達するには色々な問題がありました。特にハード的な要件が高く、画像データを蓄積するだけで大騒動。次にはデータを扱うスピードが問題になります。解決する手段はありますが、それを選択すればコストがべらぼうに跳ね上がります。

当時かなり革新的なアイデアでしたが、このシステムは殆ど陽の目を見ずに終わってしましました。しかし最近でも、似たようなシステムが開発されたというニュースを度々聞きます。ハードの問題無き今、システムが普及しないのは何故でしょう?(苦笑)

1996板金時代 1996年(平成8年)- 2006年(平成18年)
またもや、全く経験の無い業界に飛び込む事になります。少し健康状態が回復した、前の会社の営業マンが私を売り込んでくれたのです。
所在地は埼玉県で、従業員は30名程。店舗向けスチール製特注什器を製造する工場で働き始めます。前職で小売店にシステム機器を納入する際、特注什器の製造を依頼していた関係でした。

そしてそこは、全国の百貨店やスーパーをエンドユーザーに持つ、スーパー社長が率いる、隠れた大メーカーでした。社長は経営者で在りながら、営業・設計・工場管理・製品管理…、要は実質製造以外のほとんどの工程をひとりで行なっていました。
「何かできる事から手伝ってくれ。」 指示を受けた私は、CADを導入し社長が描きためた図面のデータ化を始めました。その後は製造、組み立て、納品、そして営業、提案、設計、多くの工程を経験させていただきました。

社内にいる時は図面と製造に追われ、営業に出れば全国を飛び回る。倒れるような忙しさでしたが、充実した時間が流れます。また製品のエンドユーザーは小売店舗でしたが、営業先は全国各地のシステム企業でした。そのため、多くのシステム関係者と仕事をする機会に恵まれました。そんな中に、前職で開発したパッケージシステムを知る人も何人かおり、それは嬉しい驚きでした。

会社は殺人的な忙しさにも負けず、金融機器専用什器などの新製品も開発し、順調に成長してゆきます。私自身も経験を積み、加工を知り、図面もある程度描けるようになり、お客様に新しい提案ができるようになってきました。
しかし、目の前にある仕事をただこなすだけの現場は、社長の思い描く理想とは違っていたようです。ある日、会社は清算する事に決まります。

社長は何もできない私を、足掛け11年に渡り育て続けてくださいました。しかし私は仕事で何か追い付く所か、サポートすら満足にできていなかった事を思い知らされました。

<1996年の出来事>
・岡本太郎死去・東京ビッグサイト開場・Yahoo! JAPANサービス開始・クローン羊ドリー誕生・アトランタオリンピック開催・タカシマヤタイムズスクエア開業

2006営業・スケジュラー時代 2006年(平成18年)- 2012年(平成24年)
前職でお付き合いさせていただいたお客様が声を掛けてくださり、都内SIerでシステム機器の営業として働くことになります。外資大手のシステム機器ディストリビューターとしての営業活動です。

販売先となるのは、SMB(Small and Medium Business = 中堅・中小企業)をターゲットとするISV(Independent Software Vendor = コンピュータメーカー系列ではないパッケージソフトウェアの開発・販売会社)でした。
それはまさに、私がシステム開発時代に在籍していた会社そのものです。営業に行った先では、皆様に好意的に迎えていただき、熱心に話しを聴いてくださいました。そして私は、お客様の力強いお話しに感心し、また以前よりISVの活動が広範に渡っている事を知り、驚きと喜びを感じました。行く先々で営業の楽しさと、奥深さを経験できました。

少しするとまた別の方に声を掛けていただき、今度はコンビニに関わるプロジェクトの機器導入工程作成業務に就くことになります。
諸般の事情がありここでは詳しく書けませんが、煩雑な作業にもかかわらず関係者の皆さんが、非常に辛抱強く且つ正確に業務を遂行されていました。多くの人財に囲まれ、スケジューラーとしては楽ができていたのかもしれません。

<2006年の出来事>
・世界推計人口65億人突破・第1回WBC・トリノ五輪・W杯独大会・フセイン元イラク大統領死刑・ グラミン銀行ノーベル平和賞受賞

○2011.3.11
当然の事ながら、システム導入計画にも大きな影響を与えました。
当日導入中の案件、それ以降のもの、既に導入済みのもの。システム納入先のコンビニや小売店の中には、倒壊したり、津波で流された所も多数ありました。
その後、特にコンビニは驚くべきスピードで復旧に取り掛かります。
そこには売り上げの問題もあるかも知れません。しかし、被災地の早急なライフライン復旧を目指す動きと相違は有りませんでした。コンビニ各社が持つその行動力と姿勢には、深く感動し、頭の下がる思いがしました。

○3.11個人的な体験
当日、神奈川県横浜市から埼玉県草加市まで歩いて帰宅しました。
周囲の人は翌日の帰宅をすすめてくれましたが、家族の安否に不安があり出発を決めました。
寒さと人波の中、四十数キロの移動です。結果、家族は全員無事で、他にも被害はありませんでした。
しかし、たったこれだけの事で自分の非力さを知るには、十分な体験となりました。

2012てのじ 開業 2012年(平成24年)-
これまでの数々の経験をもとに、てのじを開業しました。
+ てのじについて
+ きくらすについて

私の目標はふたつです。
皆さまに喜んでいただける製品を作り続けること。
そして、娘と揃って働くこと。(中二の娘には、まだ話していません ^_^;)

これらを胸に、てのじは進んでいきます。
てのじ 手塚悟